2012/12/20

君をさがして - kokia

今年は6月にスズちゃんが亡くなり、11月には後を追うようにタマちゃんも逝った。
亡くなった二匹のネコは、我が家のとってかけがえのないネコだった。

生きているものはいつか死ぬ。
私もいつか死ぬ。
ソラ君もお母さんもいつか死ぬ。
皆んないなくなってしまう。

私があなたが生きていることを知らずにいるように、
私やソラ君が生きていたことを誰も知らない。



さようならも言わずに
いってしまった君
残された私はじっと考えた

これは夢でこんなはずはなかろうと
悲しくてもこの意味を必死に探していた

命とは何なのか?
消えてゆくその理由は?

尊いものは変わりゆくもの
君がそっと教えてくれたね

何も変わらない朝
君が居ない他は
ありきたりの毎日を愛おしく感じだした

どんな事も全ては未来に続いていた
風の中に君の気配を感じている

この愛も私もいつか消えてしまう
幸せ慣れした悲しいハートにも
当たり前のことなどないと分かりだしてた

命とは何なのか?
終わりが来るその意味は?

大事なものは受け継がれてく
私は今何を残せるか

風になった君を抱きしめられない
なのに君はいつまでも一緒に居る気がした
だからこそこの日を抱きしめずにはいられない

命とは何なのか…

2012/12/12

from 16 - kokia

私たちは否が応でも大人になる。
そして大人になった今子供時代を振り返ると、毎日がとても楽しかったような思える。
・・・
今はどうしてこんなに退屈でつまらないのだろうか。
思うようにならない自分の人生を嘆き、遠のいた夢を当たり前のように思っている。

子どもの頃こんなことをしたいというと、大人から「そんな夢みたいな事を」と言われた。
夢を諦めた人が大人なのだろうか。

大人になるにつれ、日々の生活に追われていく。
家族のことや仕事のことなど、考えなくてはならないことがたくさんある。
夢はどんどん遠のいていく。
けれど遠のいた夢をあきらめられずに、もがく自分もいる。

kokiaの「from 16」を聴いていると、最後まで諦めるなと励まされる。
私たちが心の中にいだいている「夢」を失うことは、同時に生きている意味も失ってしまうことだから。



【歌詞】

寂しくないと 言ったらウソになるかもしれないけれど
夢を追うなら
そう 何か手放さなくちゃ

時に自分じゃ 叶えられそうにないような事を
友達が先に叶えた時には・・・

人はそう 人の幸せを自分のことのように感じて
前に進んで行けるから

それぞれが自分の行き方を通して
誰かにきっと 幸せ分けて歩いて いるんだろう
そうやって みんなで歩いて行く

同じ窓の外を見上げていた時からずっと
私達は何も変わっていないようだけれど

名前の横に書かれた肩書き役割 気にする
そんな大人になってしまったんだろう

from 16
あの頃は 何してる人かよりも
目の前の笑顔が 何より大事だった

いつからだろう
知らず知らずのうちに大切なものを
何か失ってしまったのかも

あの頃からたいして何も 変わっていない気がするけど
何1つ無駄だった時間なんて 無かった

大人色に染まってしまった窓を もう一度磨けば
いつだって 一緒に見上げた空に
もう一度 描ける

from 16
横を見れば 頑張る友の姿に
競い合って 支えあって 前に進んで来れた

from 16
あの頃から 少しは大人に なったんだろう
想い出の中の私達より

人はそう 人の幸せを自分のことのように感じて
前に進んで行けるから

それぞれが自分の行き方を通して
誰かにきっと 幸せ分けて歩いているんだろう

同じようなことを繰り返しのように感じたとしても・・・

2012/12/09

この地球がまるいお陰で - kokia

kokiaの優しいメロディと心にしみいる歌声。
そしてすばらしい歌詞。
この曲を聴くと心が癒されていくのを感じる。


【歌詞】

この地球がまるいように
どこから見ても同じように
ものごとにはそれぞれの
真実があるんだろう

例えば誰かの正義のために
誰かが泣くようなことがある
後を絶たない涙の数よりも
幸せを願う気持ちが多ければいいけど

この地球がまるいお陰で
昼と夜を分かち合えるように
誰かの幸せ願えた時
つながる心の宇宙

自分だけの幸せなんて
きっとどこにもないはずだよ
幸せは誰かがいてはじめて
生まれる気持ちのはずだから

この地球がまるいお陰で
君に巡り会えたのかもしれない
全てはいつか自分へと
続いているはずだから

この地球がまるいお陰で
どこまで遠くへでかけて行ったとしても
いつかは必ずたどりつくはず
戻ってくるべき場所へ

この地球がまるいお陰で
誰もがこの世界の真ん中に居る
いつだってみんなに囲まれている
つながっている心の宇宙

この地球がまるいお陰で

2012/12/07

泥だんごを銀色に塗装してみた

【整形美人の誕生 見違えたぜ!】

先週の土曜日に青空と泥だんごを作った。
ネットを見ると磨くとピカピカに光ると書いてあり、実際に輝く泥だんがの写真が掲載されていた。
ほんとうにこんなきれいな美しい玉ができるならならやってみる価値はある。
土なのでお金もかからないし。

泥を入れてこねるため、100均で小さなポリバケツを買った。
ネットには「サラ粉で磨く」と書いてあったが、カインズホームに行き聞いてみたらないと言われた。
サラ粉ってなんだ?
分からないので諦めた。もしかして食料品?

泥は庭の土をスコップで掘り出した。
サラ粉の代わりに西公園で乾いた砂をとってきて、これで代用。
そうして完成した泥だんご。
青空の泥だんごはひびが入ってしまい、廃棄。

1週間ほど玄関前で陰干ししていた。
乾燥したので磨いてみたが、一向に光らない。
薄茶色の泥の色のままだ。
話が違うんじゃない?
これじゃあな~。(^^;

手っ取り早く光らせるにはどうしたらいいか?
そうだ、トミカの塗装用に100均で買った銀色のラッカーが残っている。
ということで、夜、青空と泥だんごに銀色のラッカーを吹き付けてみた。
すると、どうだ。
これが見違えるような銀色に。
やったね!

美しい美女に生まれ変わった。
泥だんご女王の誕生!

YouTubeにアップした動画

2012/12/05

おへそはなぜ一生消えないか - 武村 政春

  • おへそはなぜ一生消えないか
  • 武村 政春
  • 新潮新書 (2010年)
  • ★★★☆☆

男は女の複製から一部が変形してできたそうだ。
だから男の体にもおっぱいがあるんだって。
男の元は女なんだから、男が女に頭が上がらないのも仕方ないか・・。

それにしてもこの筆者、タイトル付け方が上手だね。
「なぜおへそはなぜ一生消えないか」、なんて思わず本を手にとってしまう。
ろくろ首の首はなぜ伸びるのかもそうだった。

おへそは胎盤とへその緒でつながっていた大事な場所だ。
オギャーと生まれ落ちて、不要になってもへそは消えずに残る。
おへその下には格子状のすじがたくさんあるという。
簡単にへその緒が切れたりしたら、お母さんから栄養をもらえなくなってしまう。
だから頑丈に作られているのだ。
そしておへそは一生涯体の中心にでんと居座っている。

ちなみにおへそには皮下脂肪がつかないという。
理由は、おへその下には過去の名残のすじがたくさんあるから。
太鼓腹になっても、おへそはへこんだまま。

青空は痩せているので、おへそはもぐりこまずむきだしのままだ。
むき身のアサリみたいに見える。(^^;

2012/11/29

モミモミされる茶太郎

YouTubeで人気のポッケというネコがいる。
ぽっちゃりタイプで、カゴねこのシロに似ている。
このポッケの動画がとても可愛い。
ネコの後ろから頭を手でモミモミするだけなのだが、これが意外と絵になる。

茶太郎にもやってみた。
茶太郎は寝ているときはおとなしい。
何をされても文句を言わない。なすがまま。
えらいね、茶太郎。

タマがいなくなって、家の中にいるネコは茶太郎だけになってしまった。
かくして茶太郎は我が家のキングになるのか・・。

Wiiスポーツ ボーリングで勝負

【すごい記録が出た!】

このところ毎晩のように、青空とWiiスポーツをして遊んでいる。
テニスと野球はまったく勝てなくなってしまった。悲しい。
だが、ボーリングとゴルフは接戦。

今夜はいつものように、テニスと野球で完敗したあと、ボーリングをした。
なぜか二人とも絶好調。ストライクの連発。
私は最後までツキに恵まれてすごい記録が出た。自己最高。
青空もいいスコアが出たが、いかんせん私がすごすぎた。
こんなことってあるんだね。

2012/11/27

ウィルスの正体と脅威 - 中原英臣

  • ウィルスの正体と脅威
  • 中原英臣
  • KAWADE夢新書 (1996年)

何が驚いたって、ウィルスは生命体でもあり物質でもあるとうことだった。
ウィルスの構造は、DNAとそれを包む膜だけでなりたっているそうだ。
宿主にとりつくまでは物質と同じ状態だが、いったん宿主に入り込むと自分の遺伝子を宿主の遺伝子にもぐりこませる生物になる。

さらに驚いたのは、ウィルスが遺伝子の運び屋もしているということ。
宿主のオリジナルの遺伝子をかっさらって外に飛び出す。
次の宿主に入り込んだときには、その奪い取った遺伝子ごと転写されるので、新たな形質が誕生する。
キリンの首が長いのはウィルスの感染による可能性もあるそうだ。

この本は16年前の1996年に出版されている。
研究が日進月歩の今、その後どこまで解明されたのか大いに知りたくなった。


2012/11/21

タマの火葬

【さよなら タマ】

夕方4時半。
火葬社(PetPAPA)の車がやってきた。
11月半ばを過ぎると、この時間でもすでに暗い。
火葬は家の前庭に火葬車を入れて行うことにした。

5時になると青空もピアノ教室から戻り、家族全員が揃った。
青空がタマを抱いて架装台の上にそっとおいた。

タマを花で飾った。
体はやせ細ってしまったが、顔は安らかだ。
微笑んでいるようにも見える。

火葬車の蓋が閉じられ、火葬が始まった。
タマを燃やす炎の熱が火葬車の上に立ち上る。

やがて火葬は終わり、タマの遺骨を骨壺に移した。
骨壺に収まったタマ。
物言わぬタマ。
タマの遺影の写真。
上を見上げているその姿は、私はあっちの世界です、と言っているようだ。
皆んなでお線香を上げタマを弔った。

ムービー YouTubeにアップした動画

2012/11/20

タマと最後の夜を過ごす

とうとうタマも逝ってしまった。
タマとは長いこと一緒に暮らしてきた。
家に帰ればタマがいる。
それは私にとって当然のことだった。
けれど、もうタマはいない。

元気な頃はドアを開ける音で、玄関まで迎えにきてくれた。
一人暮らしを続けていた私には、タマが唯一の同居人であり家族だった。
互いに寂しさを分かち合った。

結婚してからは、タマは我が家の主様として我が家の守り神となった。
青空が生まれた時、タマはすでに10才を越えていた。
タマはまだ小さい青空を軽くあしらっていた。

その青空がもう11才になった。
その分タマは年老いて、すっかりおばあちゃんネコになってしまった。
ここ一年でタマの体力は衰え、テーブルの上にもジャンプできなくなってしまった。
人間なら100才くらいになっていたのかもしれない。

タマはネコとしてはずいぶんと長生きした。
食べ慣れないものを口にするとすぐに吐いてしまったが、大きな病気もケガもしなかった。
が甘えん坊ではなく、自分からは膝の上に乗ってきたりはしなかった。
静かなところで一人でいるのを好んだ。

明日はタマの火葬だ。
タマの姿を見られるのも今夜が最後となる。
最後の夜はタマのそばで一緒に眠り、共に過ごしたこの20年の歳月を語りあおう。
思えば夢のごとくあっという間に過ぎ去ってしまったこの歳月を。

movie タマと最後の夜を過ごす

2012/11/19

タマ逝く 家族にみとられて・・

夜9時半。 家族に見守られてタマは息をひきとった。
私が仕事から帰って来たときから、タマの様態はよくなかった。
うつろな目をして、呼吸も途切れとぎれになっていた。
最後はストーブの前の布団の上で、家族皆んなに看取られて逝った。

我が家にネコはたくさんいたが、タマは別格だった。
女王様であり主様であった。 我が家のシンボル的な存在だった。
そのタマがいなくなってしまった。
夏頃からお母さんが、タマは今年の冬は越せないかもしれないと言っていた。
去年くらいから体力が落ちて、テーブルの上に自力で上がれなくなっていた。
タマは20才を越え、人間だったら100才くらいの高齢になっていた。

この一ト月、タマは食事がとれなくなって、だんだんとやせ細っていった。
食欲はあるが、口の中が痛いのと、内蔵がひどい状態になっているようで、 食べることができなかった。食べてもすぐに吐いてしまった。

私はタマとは20年以上一緒にすごしてきた。
結婚する前、私は10年間ほどタマとアパートで暮らしていた。
アパート時代の私はまったくいい加減な飼い主だった。
家にいないことも多く、タマは外ですご時間が多かった。
そのためノラネコにいじめられて、すっかりネコ嫌いなネコになってしまった。
 残念なことに、アパート時代のタマの写真はまったく残っていない。
当時はデジカメのように気軽に撮れる便利なカメラはなかった。
 一眼レフは持っていたが、ほとんど使うこともなかった。

タマは誇り高いネコだった。 ゴロゴロと喉を鳴らすことはほとんどなかった。
ネコなのにネコが嫌いで、人は敵とは思っていなかっただけだった。
だから孤独だった。 いつもひとりぽっちだった。
それはたぶんタマがまだ小さい頃、私がほとんどかまってあげなかったからだろう。
それでも20年以上もずっと一緒に暮らした。
家に帰れば、タマがいるのが当たり前だった。

今年は、6月にスズちゃんがなくなり、11月にはタマもなくなった。 ネコのいない我が家はさみしいものだ。

【ムービー  タマの最後の散歩 (2012.11.18)】
この動画は昨日撮影したものだ。
この時はまさか明日亡くなるとは思ってもいなかった。
タマはヨロヨロしながら玄関から外に出て行き、庭を一回りした。
これがタマの最後の散歩になってしまった。

2012/11/14

I'm So Lonesome I Could Cry - AA Bondy

I'm So Lonesome I Could Cry はHank Williamsの曲。
AA Bondyがcoverしたこの曲は、哀切感がただよっていいね。


http://www.youtube.com/watch?v=VnzDFa-ioDg&feature=related

【歌詞】
Hear the lonesome whipperwill
He sounds too blue to fly
The midnight train is whining low
I'm So Lonesome I Could Cry

I never seen a night so long
When times goes crawling by
The moon just went behind a cloud
To hide it's face and cry

Well maybe the night is cold
But together they fade
Like the shadow that ran up to the hills
Trying to fix her wings
There's a saint and a sinner
and forever the missing day
Where the winners and the losers feel the same
Who knows what tomorrow brings

Did you ever see a robin weep
When leaves begin to die
That means he's lost the will to live
AA Bondy - I'm So Lonesome I Could Cry

【和訳】
哀しげに夜鷹が舞っている
空を羽搏くのには憂鬱だとも言いたげだ
夜汽車の汽笛が低く響く
あぁ、あまりに寂しくて泣きたくなってしまう

夜がこんなにも永いなんて初めて知った
時は這うかの様に、ゆっくりと進み
月は雲間に逃げ込んでしまう
まるで、その涙で濡れた顔を隠すかの様に

駒鳥が啼くのを聴いたことはあるかい
そう、枯葉が舞い墜ちる、あの頃にさ
もし、そんな経験があるのなら、
生きる目的を見失っているからだよ
独りぼっちで泣きたいくらいにね

静寂の中で、星々が堕ち
赤紫色に空が明けてくる頃
きみを喪った意味を自問する
あぁ、あまりに寂しくて泣きたくなってしまう

2012/11/10

タマを病院へ連れて行く

タマの具合が悪い。
このところほとんど食べなくなり、そのため激痩せした。
水を飲んでは吐く。
体力が落ち、テーブルの上にも上がれなくなってしまった。
そこはタマの定位置だったのに・・。

スズちゃんが亡くなった頃から、ジワジワと弱ってきていた。
20才を越えて老化が進み、おばあちゃんになってしまったタマ。
お母さんは、タマが今年の冬は越せないかもしれないと言っている。

夕方、動物病院へ連れて行った。
タマの体重は2kgちょうどしかなかった。
脱水症状をおこしているので点滴を打った。
歯周病がひどく口の中の痛みをやわらげるため、痛み止めの注射も打ってもらった。
目やにがひどいので目薬ももらった。
爪も切ってもらった。
家でも点滴がうてるように点滴セット一式を用意してもらった。

ドクターは、タマはお腹に腫瘍があるようだと言う。
がタマはもうおばあちゃんなので、手術をしても助かる可能性は少なく、
このまま寿命をまっとうさせてあげた方がいいと言われた。
食欲がないなら、好んで食べるものをあげればいいとドクターが言う。
タマの大好きな鶏の唐揚げを食べさせてあげよう。

みんな年をとる。
これは避けられないことだが、老いてやせ細っていくタマを見るのはつらい。
でもタマはそれ以上につらいことだろう。

2012/11/07

San Diego Serenade - Tom Waits

(PBS Soundstage 1975) - San Diego Serenade - Tom Waits


【歌詞】
Never saw the morning till stayed up all night
Never saw the sunshine till you turned out the light
Never saw my hometown till I stayed away too long
And I never heard the melody, till I needed a song

Never saw the white line, till I was leaving you behind
 Never knew I needed you till I was caught up in a bind
And I never spoke 'I love you' till I cursed you in vain,
Never felt my heartstrings till I nearly went insane

Never saw the east coast till I move to the west
Never saw the moonlight till it shone off your breast
And I never saw your heart till someone tried to steal it away
Never saw your tears till they rolled down your face

And I never saw the morning till stayed up all night
Never saw the sunshine till you turned out the light
Never saw my hometown till I stayed away too long
Never heard the melody, till I needed a song

【和訳】
夜どおしおきてでもいなけりゃ
朝なんてお目にかかったこともなかった
お前が愛の灯をともすまで
太陽さえ見たことがなかった
ずっと離れて暮らしてみるまで
故郷があることにも気づかなかった
唄が必要になるまで
メロディさえ聞いたことがなかった

おまえを残して旅立つまで
白い線なんか見たことがなかった
退屈でしかたなくなるまで
おまえを恋しいと思ったことさえなかった
おまえの名を口にするまで
“愛してる”とさえいったこともなかった
気が狂いそうになるまで
心の糸に触れてみたこともなかった

西部に行ってみるまで
イースト・コースとさえ見たことがなかった
おまえの胸が映しだされるまで
月の光も見たことがなかった
誰かが奪っていこうとするまで
おまえの心さえ見えていなかった
おまえの頬が濡れるまで
涙というものさえ知らなかった

夜どおしおきてでもいなけりゃ
朝なんてお目にかかったこともなかった
お前が愛の灯をともすまで
太陽さえ見たことがなかった
ずっと離れて暮らしてみるまで
故郷があることにも気づかなかった
唄が必要になるまで
メロディさえ聞いたことがなかった

転載
コピーライターが気になる歌詞


2012/10/16

ガンジス河でバタフライ - たかのてるこ

  • ガンジス河でバタフライ
  • たかのてるこ
  • 幻冬舎 (2000年)
  • ★★★☆☆

図書館でおもしろそうな本はないかと物色していた。
ふとこの本と目があった。

タイトルがいいね。
「ガンジス河でバタフライ」なんて。
思わずこの本を手にとってしまった。

いったい何の本?
数ページを流し読むと、この本は旅行記だった。
カバーにはどこにも旅行記なんて書いてないぞ。
でもこれがなんとこれがおもしろい。

こんな本を読むと無性に旅がしたくなるね。
この本を読んで旅にでようと思った若い人も多いのではないだろうか。

=> インドの地図
=> たかのてるこ公式WEBページ
=> DVDも出ているみたいだ、見たいな!

2012/10/15

タマと青空 私たちは今日まで一緒に生きてきました

タマは私の部屋に置かれた専用ベッドがお気に入り。
この部屋は暗いけれど、日中は誰も来ないので静か。
やかましい青空もいない。

夜になると私はこの部屋にこもり、パソコンでWEBページを作ったり、動画を編集したり、YouTubeを見たりしている。
青空も時々のぞきにくる。
お父さん、何してるの?

今夜も私がパソコンをしているそばで、タマが寝ていた。
そこに青空がビデオカメラを持って登場。
寝ているタマを撮った。
まだ子どもの青空が、おばあちゃんになったタマに語りかける。

タマと青空は赤ん坊の頃からずっと一緒だった。
一人っ子の青空は、小さい頃タマが遊び相手だった。
タマは迷惑そうにしていたが、逃げたりはしなかった。

青空は今年11才になった。元気盛り。
タマは23才。
すっかりおばあちゃんになってしまった。

YouTubeの動画

2012/08/28

タマちゃん いつまでも長生きしてください

夜リビングにいくと、タマがテーブルの上で寝ころんでいた。
今夜は熱帯夜。
あまりに暑いので、ちょっと涼しいテーブルの上で横になっていたようだ。

タマはこのところご飯を食べなくなって、痩せてきている。
おばあちゃんになって弱ってしまったが、顔は以前とあまり変わらない。
愛嬌があって可愛いよ、タマちゃん。

タマは家族皆んなが長生きしてほしいと思っている。
なんたって、タマは我が家の守り神様だからね。

YouTubeの動画

2012/08/24

ロードキングクラッシック ハーレーダビッドソン 2012.8.24

20代の頃に突然バイクに乗りたくなって教習所へ行き中型免許を取得。
最初に買ったバイクが、HONDAの250ccのアメリカンでした。
その後バイクには乗らなくなってしまいましたが、乗りやすいアメリカンが好みです。

なもんでamazonでハーレーダビッドソンがロボットに変身する模型を発見して、思わず買ってしまいました。
1/14のスケールですが、細部も細かくてかなりよかったです。
アメリカ製なので、ガンダムのプラモデルを作るのとはだいぶ勝手が違っていました。
それでもソラ君と一緒に小一時間で作ることができました。
次は、このハーレーをロボットに変身させてみたいと思います。

【amazon】  ROAD ROBOT ロードキングクラッシック ハーレーダビッドソン 1/14



2012/06/08

スズちゃんの火葬 - 3年半の最後の日

スズちゃんの火葬は16時から行われる。
私は仕事を早めに切り上げて戻った。
火葬車がくる前に祭壇でスズちゃんと最後のお別れをした。

火葬はクジラ公園の駐車場で行う。
青空がスズちゃんの遺体を火葬車に運ぶ。
最初に、スズちゃんの毛髪の一部を形見として切り取った。
次に皆んなでスズちゃんの遺体に花を飾った。
これでスズちゃんとも最後のお別れになる。

準備が整い、火葬が始まった。
火葬車がうなりを上げてスズちゃんを炎につつんでいる。

そしてお骨になったスズちゃんが我が家に戻ってきた。
リビングでスズちゃんの遺骨を拾い、火葬の儀は終わった。
とうとうスズちゃん姿は我が家から消えた。
切り取った毛髪がスズちゃんの形見だ。
祭壇にスズちゃんに骨壺を飾り、皆んなで手を合わせた。

青空がスズちゃんに当てて書いた手紙と私が描いたスズちゃんの似顔絵は、一緒に火葬するつもりだったが、持っていくのを忘れた。
でもこれはスズちゃんの思い出として残しておこう。

【君のことを忘れない】

スズちゃんは病にもかかわらず精一杯生きた。
君が我が家に来てから今日まで、君の生き方はとても立派だった。
がまん強く、ありのままを受け入れた。 そんな君を皆んなが愛した。
君と一緒にすごした3年半は、大切な思い出となって皆んなの心に残っている。
どうもありがとう、スズちゃん。

2012/06/07

スズちゃんへ最後のメッセージ - 手紙と絵

スズちゃんの火葬は明日の6月8日14時と決まった。
3年半一緒にすごしたスズちゃんとも今夜が最後だ。

スズちゃんが我が家に来てから、いろなんことをスズちゃんから教わった。
スズちゃんは病にかかわらず、不平不満を口にすることなく、
ありのままを受け入れ、自然体で生きた。

私たちも万一大きな病に罹り、あるいは事故にあって大けがをしても、
スズちゃんのように我慢強く、諦めることなく精一杯生きなければならない。

そんなスズちゃんともいよいよお別れの時がやってきた。

私はスズちゃんの絵を描き、青空は手紙を書いた。
3年半、病に負けず頑張って生きたスズちゃんへの最後のエールだ。




YouTubeの動画

2012/06/06

スズちゃん逝く - 君のことを忘れない

お母さんから、「10時15分にスズちゃんが息をひきとった」とメールが入った。
2,3日前からもう限界と思っていたので驚きはしなかった。
むしろこれでやっと君が楽になれたと安堵した。
ここ数日、それほど君の状態はひどかったから。


君が我が家に来たのは、2009年の1月19日だった。
寒い真冬の日だった。
私が仕事から帰ると、君はベッドにうずくまっていた。
今にも折れそうなか細い体だった。
名前が紙にかいてあった。
スズちゃん。

それから3年半、君は我が家のリビングで過ごした。
君は、手間のかかるネコだった。
目は緑内障で見えず、腎臓も悪かった。
砂のトイレが嫌いで、夜はリビング中にペットシートを置いた。
腎臓が悪いので数日おきに点滴を打った。
目が見えないので、ネコ缶を手のひらに乗せて食べさせた。
明け方になると大声で鳴いてご飯を催促した。

そのためお母さんはいつも寝不足だった。
それでも君はこの3年半、毎日我が家のリビングで過ごした。
女王様のタマも君には敬意を表した。
君はとても優しい性格をしていたので、皆んなに好かれた。
茶太郎にまでも。

君はメスだったが、大柄でスタイルのいいネコだった。
シッポもすらりと長かった。
けれど愛嬌のある可愛い顔をしていた。
何よりも我慢強い性格だった。
今日まで不平不満は一言ももらさなかった。
目が見えず、痛い注射をされても。

私は、夜、君と散歩するのが楽しみだった。
君は風のにおいをかぎ、風上に向かってゆっくりと一歩一歩進んだ。
お母さんは、君の目が見えるようになればいいのにと言っていた。
そうしたら、西公園の芝生を颯爽と走る君の姿が見られたかもしれない。

でも君は今日静かに息をひきとった。
いちばん信頼していたお母さんにみとられて。

君がいなくなっても、私も青空も君と過ごした3年半を忘れない。

YouTubeの動画

2012/04/20

メメントモリ 自分が死ぬということを忘れない 2012.4.20

【いつか死ぬ それは明日かもしれない】

私たちは日常の生活に埋没して、「自分がいつか死ぬ」ということを忘れてしまいがちだ。 もしかしたらそれは明日かもしれないというのに。
そのため今やっておかなければいけないこと、あるいは今しかできないことを先送りにしても平気でいる。 そしてその時がきたら後悔の涙を流す。
古の人は「メメント・モリ memento mori」なんてしゃれた警句も残している。

癌は現在最も多い死因だが、癌を宣告されてすぐに死ぬわけではない。
数ヶ月から長ければ数年も死の恐怖と死の現実に向き合わされる。否が応でも。
癌宣告を受けると最初は怒り(なんで自分が)、最後は諦めて穏やかな心境になると誰かの本で読んだことがある。
死が目前に迫れば、虚飾や欲望がはそげおち、本当に大切なものだけが残るのだろう。 癌宣告を受けたジョブズは以下の言葉を残している。

自分はもうすぐ死ぬ。
それを忘れないことが、人生の大きな選択を迫られたときのこれ以上ない助けになってくれる。
なぜなら、まわりからの期待だの、プライドだの、恥をかいたり失敗することへの恐れだの、そういったほぼあらゆることが、死の前にはどこかへいってしまって、本当に大切な事だけが残るからだ。
自分が死ぬという事実を忘れないことこそ、自分に失うものがあるという思考の落とし穴にはまらないための最善の方法なのだ。
人は誰でも裸だ。自分の心に従わない理由はない。


上記は、ジョブズ・エッセンスという本に載っていた。
名言なので記録しておく。
ありきたりの伝記とか経営指南書ではなく、ビジネスにおいてジョブズだったらどう考えたのかを考察しているおもしろい本だった。



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